「中二病でも恋がしたい」11話を見て。

2012年12月16日(日)。
BS11で荒ぶる池上さんつけてて、そのままモンハンやってたら、件のアニメが始まって。
25時過ぎとかでしたっけ。
タイトルくらいは知ってるけど正直予備知識無しで見てましたが、
かいつまんで言えば、
中二病の子が、現実を向く時が来た、的な話で。
せつなかった。


こういう経験を持ってる方も少なからずいるはずで。
そういった人は共感を抱かれたのではないでしょうか。


そして自分としては痛く心を突かれたように感じました。

突然ですが

当ブログは、2003年12月〜2009年の1月頃までは、頻繁に更新されていました。
2010年11月以降は、およそ更新されてないブログといっていいでしょう。


振り返るとだいたいゆかりんとラジオの話がメイン。
時折ゲーム。
最初の頃は仕事の愚痴もべらべらと。
あとは日々気づいたことと。
ネタがなければ自分で作って楽しく一日を終えよう。
疲れた日はぼやいて終わろう。
そんなに毎日更新がなくたっていいじゃない。
てな感じでだらだらと長文を書いてたブログ。
長さはヒマそのものを表していたとも言えます。
自分の存在意義はこのブログにあり、的な気持ちを持っていました。


2009年12月にツイッターを始めたら、
ツイッターでの発言をいいだけしたあとに、
ブログに何を書いて更新しろと・・・?
同じことを書く?
今日のつぶやきまとめる?
なんか、一度発信したものをまたまとめるのはどうにもモチベが上がらず。
そうしてついには更新が停滞するように。


ブログ停滞の危機はかつて、
2ch面白すぎる→自重に成功
ニコ動面白すぎる→自重に成功
ツイッター面白すぎる→どっぷり


という経緯があり。
その時の好きなものを見つけたら、それまでの継続は廃れる、
まぁ普通のあり方だと思いますが。

ゆかり力の低下

しかしながらブログにまとめることをしなくなって、
落ちていったのはゆかり力。
ラジオを繰り返し聴いてブログに感想をまとめるというのが普通だった頃と、
ツイッターで実況して終わる今と。
ゆかりんの毎週のお話が、
フレーズが、ワードが、内容が。
色濃く心に記憶に残っていたのがいつの頃までだったかは明白。


それを知っていながらただ流されるように生き。
ライブのレポートもいつしか書かなくなり。
記憶に色濃くとどまってるのははやりDMCのあたりまでが大変色濃く。
それ以降はレポを書いた分くらいしか。
書いてないライブの記憶は薄くなりがちで。


如実に体力の低下を嘆き。
なりふりかまわずできるところまででも書いておけばよかったのに。
無駄な完璧主義のプライドが足かせになり。
ただただ堕落していったようなここ2年。
そんなことを「また」思っていました。


思うだけならここ2年の間に何回かありました。
特に夜行バスに、疲れてないときに乗ると、
眠りに落ちるまでの2〜6時間、延々と最近の自分のあり方を自省して。
しかし帰宅後には身体が想いについていかず。


そして先日振り返ったときに、
振り返る前に思い出していたことがひとつ。

妄想こそ我が原動力。


これ、恥じることでもなんでもなく、今でも普通に言える自分。
自分の原点ってそこだったな、と。


アニメやゲームや漫画が大好きでそれに感化され。
自分が特別な存在でありたいと思う気持ちは、10歳の頃にはあったと思う。


その後ラジオに出会って、アニラジにどっぷりはまって。
はまり続けて、93年10月からだから19年ちょい。

「自分こそが特別なリスナー(でありたい)」。


そんな風な想いを強く抱いて、
今日までやってきたように思います。
ここ2年でだいぶ薄れていた部分ですが。

ここ2年で

気持ちがだいぶ薄らいできてたのは、
現実に押しつぶされそうな局面が増えたから。
情けない話、妄想してる暇なんてない。
妄想してても何も現実は変わりはしない。
現実のことを考えることが当然・必然。
現実を成り立たせた上でないと、妄想なんて趣味なんて楽しくできない。


だから妄想を趣味をがまんして現実を何とかして、
それからがんばろう。
だが。
そこに気づいたのがたったの2年前・・・。


逆に言うと、
恐ろしいまでに現実を見てこなかった。
趣味に妄想に全力全開。


現実での窮地になにをどうもがいたところで。


まぁ、できる人はできる。
最初からこうはなっていない。
陥ったとしても打破できる人もいる。


だけど、大半はそうじゃないかな、と思うのが、
どうにもできずもがいたまま、趣味の世界からのフェードアウト。
こうして人は去っていくのか・・・。
自分にもその時が来たのか、そう遠くない未来に。


そう感じ始めたのが2年前。


大好きなアニラジに、戦友とも呼べる、
いやこっちが勝手に思い込んでるだけなんだけど、
10年以上にわたって名前を聞くリスナーがいる。
だけれども。
2009年を過ぎたあたりから、妙に聴かなくなってきている。
やはりアニラジリスナーであり続けることは難しいのか・・・?
そんな中自分は15年16年。息長く続いてるほうだ。


だけども自分もこれはそう先が長くない、と感じた2年前。


この辺の話は、
自分のネガティブな性格によると、
状況を詳しく書くと特定される恐れがある、
万が一興味を持って検索された時に、
自分と一致されては困るから、
具体的な苦境なんて書き記そうとなんて思えなかった。


特定されたらほんと、死、だからな。


幸か不幸か、ともあれ幸運なことに、
状況が改善されたのは1年前。


なんていうか・・・。
こんなにも世の中って、
人次第なのか・・・?
後から考えれば考えるほど、ねぇ。
同じ仕事なのに、
普通にできる環境と、
普通にできない環境と。
何が普通かはわかんないけど。
2010年の状況は、よっぽどおかしい状況だったと。
だって1999〜2009年と、2011〜2012年は、普通にできてるじゃん。
あの期間だけ毎日が暗黒ゾーン、土日もちっとも面白くない時期で。

時間は進んでる

だから今の状況を必死にキープしたい自分がいて、
2010年がトラウマ過ぎて、いつか来る次の人事が、
自分が現実に戻っていく時なのだろう、
今、もう1年過ぎたけど、今が最後の、許された自由な時間ではないのか、と。


こんなことを書くに至るほど心が動く日があって、
本当によかったと思う。