レベル1の頃

そう。
今更ながらなのですが。
自分がゆかりんを知ったのは・・・この日記ではドリカンって書いてきたけど、
今一度振り返ってみた。時系列がよくわかんなくって。
はっきりさせる必要も無い気がした、だってラジオが好きなんだからドリカンってことで。


で、調べてみました。
ワンダフルアニメ「ふたり暮らし」が最初っぽいですね。
このひかるって子、すんげーかわいい声、田村ゆかりっていう子かぁ。
(声質からして「子」という呼び方してたのは確か)


今風にいうと、


テラモエスwサンダーモエスwwアルティメットモエスwww


・・・それただの厨房だろ!


えっちなことになれーなれーと思いながら見ていたことは、
言うまでもないことなのでこれまで書かないでおりましたが、何か?w


たぶん、ふたり暮らしが新番組として始まる、というのを、何かの雑誌で見た。
当時の青森は、もう、いわゆるアニメファン向けのアニメがNHK以外でやってないような、
壊滅的な状態だったので、
始まる新番組が、見られる新番組があるなら必ずチェック。
一番見たい時期に、時間があった時期にほとんどの作品をアニメ誌で補完するしかなかったし、
それでもラジオが聞こえたのが救いで、
それまではラジオは何でも聞いていたのが、アニラジという言葉もできて、
番組数も爆発的に増えていった頃、聞く時間はアニラジ9割とかになっていきました。


特に文化放送をなんでもかんでも聞いてた中で、
ドリカンクラブの企画があって、その企画自体はふーんって流してて、
ドリカンのパーソナリティーゆかりんがいて、
この時はまだ普通に聞いてるだけでした。


TLS2とときメモ2は、前作からのファンだったからデフォ購入した・・・
というか、これも大きくハマるきっかけも
「もっと!ときめきメモリアル」だし、
「Radioトゥルー・ラブストーリー パジャマでいっしょにネ」だし、
どっちもツイパラのDだったおたささが関わってるし、いやもう、
すごいね、びっくりだね!
と君子っぽく言ってみたのだ。


ドリカンではなんかテレカ欲しさに色んなコーナーに出してた時もあったっけなぁ。
ちなみにリクエストは本名で2回読まれて、2回とも堀江さんの方で、
ゆかりんがいいのに・・・と思いつつも記念すべき採用を悔しがる俺意味不明だろ、
と、思うようにしてましたけど、
今言おう。


ゆかりんに読まれたかったです!!←


もしかしたら、これもひとつの根底なのかもしれない。
ゆかりんに読まれたい」。
そんな思いがどんどん募っていって、
文化放送Kanonは、第1回の収録は9月23日以降と先日推理できましたが、
確か9月1日あたりには番組開始おめでとうはがきを出してましたね、
もう必死過ぎですね当時の自分w


その葉書が念願かなっての、ゆかりんのラジオでの初採用。
この時点で既にレベルは2じゃないと思うんですがw、
無理矢理レベルに変換したとして、2に上がったのはいつだろう?w
歌的にはライブに触れたらレベルアップみたいな感じだけどw
やっぱり、アニメとか、ラジオとか、ゆかりんを意識して毎週エアチェックするようになるのが、
レベル2になった時、かなぁ。


読まれたい、が、面白がってもらいたい、に変わったのがヤングで。
ホント俺いい出会いが続いてるんだな・・・。
ただひたすらにアニラジを追いかけてきた中で。
ヤングの最終回で電話繋ぎの機会をちょっとしたタイミングで逃し。
ゆかりんと話してみたい」
っていうところが出てきて。
これは叶うのが4年半後。童話迷宮のお渡し会。
ちょっと惜しかったとか、ゆかりんに触れていたいとか色々思って、
この時言ってた「はぁとのためいき」へと繋がっていく。
そこからはもうほぼ毎週。